このサイトでは心の仕組みとして、「ビリーフリセット®︎」をどこよりもゆる〜く解説しています。
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この中で私は、「ビリーフ」と「信念」を分けて定義しているのですが、「具体的に、どう違うの?」というのを、私が腑に落ちた感覚でご紹介します。
どちらも「信じていること」という意味ですね。
ビリーフ(負の思い込み)は、ない方がいいのか?
心の仕組みを学ぶと悩みの原因がわかるようになるので、
「思い込みをとっぱらって軽くなろう!」
「クリアになろう!ビリーフは持ってちゃいけない…」
って、ついつい、なりがちなんですが、果たしてそうなのでしょうか?
- 〜〜してはいけない
- 〜〜しなければならない
- ~~するべきだ
は、少ない方がいいのでしょうか?
ビリーフは自分を制限する思い込みだから、たしかに多すぎると生きづらいし、自由に思い通りに行動するのには邪魔になります。
「やりたいことがあるのに、なぜかどうしても出来ない…」という場合には、潜在意識の領域に「そうはさせるか!」という何らかのビリーフ(考え、思い込み)があり、行動できないようにしていると考えられます。
思い当たる人は、「なぜ、出来ないんだろう?」「もしそれをやったら、どんなことが起きてしまいそうなのか?」をまずは考えてみてくださいね。
「信念」と「ビリーフ」
さて、そこで今回のテーマです。
「あなたにとって、生きる上で大切な信念は何ですか?」
という問いに、どう答えるのか。
「生きるとは、○○である」
「そのためには、〜〜するべきである」
「そのためには、〜〜してはいけない」
という言葉で表されるように、「信念」と「ビリーフ」は同じ構造です。
単純に、ポジティブなのが信念でネガティブなのがビリーフ…というわけでもないですよね。
外側の鎧と内側の骨
で、私はこんな感じで捉えています。
「ビリーフリセット®︎」では、「してはいけない」「しなければならない」という考え自体を解体(リセット)し、
「してもしなくても、どちらでもいい」
に着地するのを目指すのですが、そこで終わりではなく、その人の本質が開花することをゴールに見据えています。
人の本質を支えるもの、それが「骨(信念)」であり、それは「どちらでもいい」になってはいけないものですよね。
「身体の感覚」の違い
ビリーフも信念も、どちらも「(信じている)考え」ですが、それを考えているときの「身体の感覚」が違ってきます。
もしあなたが、「その考え」についてどっちだろう?と迷ったなら、ぜひその「感じ方」「身体の感覚」に意識を向けてみてください。
- ビリーフの場合:そこはかとない不安感や得体のしれない怖さを感じる、胸やお腹、肩、背中など身体の部位が固くなったりぞわぞわしたり気持ち悪く感じる、呼吸が浅くなる
- 信念の場合:お腹にグッと力が入るような感じ、内側からエネルギーが湧き上がる感じ、全身が一本に繋がったような感じ
これらは「身体の感覚」なので、人によってその部位や感じ方は異なるのですが、大体こういう感覚が多いのではないでしょうか?
信念はアイデンティティに直結する
「骨」がなくなったら、クラゲのようにふにゃふにゃになります。それはまさにアイデンティティの喪失とも言えるので、そうなったら「生きる」ことが無意味に感じられるかもしれません。
またもしも、「信念」が逆側の考えに切り替わったとしたら、それはアイデンティティがひっくり返ることになるので、まるっきり人格や生き方が変わってしまうでしょう。まるで、悪魔に魂を売り渡すかのように。
ちなみに私の場合は、「みんな違って、みんないい」世界観をベースに、
「生きるとは、個を輝かせることだ」
「人は、自由であるべきだ」
「個は、尊重されるべきだ」
「人は、支配することもされることも、あってはならない」
を、信念として持っているので、SF小説などで描かれる「監視社会」「ディストピア」には、強烈な嫌悪感(憎しみも)があります。
明らかにそちらに向かっている近隣国もあり、時代の転換期である現在は、
「人類はどちらを望むのか」
その帰路に立っているようにも思えます。
もし私が「監視社会、サイコー!守ってもらえるし何も考えずに生きられていいよね」とか言い出したなら、「あいつ、魂、売り渡したんだな」って思ってください。
あなたの「信念」大切にしてくださいね。
そして同じ信念、同じ価値観を持つ者同士が互いに尊重しあって生きていく、そんな世界を望んでいます。
自分の「信念」って何だろう?という方は、こちらの質問で見つかりますよ。↓
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